不動産は面白いーー巣の確保から投資に至る過程で得た学び

アカウント名「家売る女」のど真ん中ブログ:不動産遍歴から得た学び

西院の路線価上昇率が近畿トップー京都をだめにしたのは京都人?

国税庁は、毎年7月1日に路線価を発表する。

路線価は、相続税の算出に使われる価格。今年の日経平均株価は連日バブル超えがニュースとなっているが、不動産価格は数年前から上昇が伝えられていた。長年に亘る金融緩和で、じゃぶじゃぶになったお金の向かう先がまず不動産だったのだろう。

 

京都西院の路線価の上昇率が近畿トップとのニュース。

ワクチンが開発され、ウイルスの詳細も判明しはじめたので、コロナ勃発当初のように致死率が非常に高い感染症ではなくなった結果、インバウンド客が戻り、京都では多すぎる観光客が地元民の生活に悪影響を及ぼすオーバーツーリズムの問題が伝えられている。市中心部は新しい宿泊施設がどんどん建てられ、土地の価格上昇はコロナ前から問題だった。

 

京都市が今年4月、建物の高さ規制を緩和する条例を施行。西院駅周辺でもマンションなどの高さの上限が20mだったのが31mまで緩和され、ファミリー向けマンションがさらに増えると予想されている」というのが西院の価格上昇の理由だそう。

 

京都市中心部は高さ制限が一応あるが、大通り沿いは統一感が全くない、10階程度のそこそこ高いビルが建っており、その背後にベターと平屋、2階建てだけでなく、3階建て、4階建ての建物が連なっている。姉妹都市パリには及ぶべくもない美しくない町並みだ。

 

敷地の限られた民家では3階建てのものも多い。最初の高さ規制緩和の産物だろう。古くなった平屋や2階建ての木造家屋を解体して、3階建てにすると床面積は広がるし、高くなると街中でも少しは採光が良くなる。暗いジメジメした狭い家にうんざりした京都市民にとってはありがたい緩和だったのだろうと想像する。

 

私が最初の再生京町家を購入した時、口座のある東京大手町の銀行のロビーで不動産業者への送金手続きを行った。業務出張の口実で上京してきた京都の不動産業者と同行の司法書士は、大手町の高層ビル群を見上げて、「都会やなあ」と感心していた。東京在住の私は2階建ての小さい京町家を購入しているのだが。

 

湿気の多い、窓がきちんと閉まらない古い木造住宅が嫌だった時期もある。が、石造りの建物中心で、地震もないフランスで生まれて初めての海外生活を経験して、家だけでなく家具も含め古いものを大切に保存、再生し、美しい街並みを維持する文化に触れると、自分が住んできた住まいがひどくみすぼらしく思えた。

 

京都の中心は四条河原町周辺。大阪、神戸へ延びる阪急電車の始発駅河原町から3つ目が西院だ。一つ目の烏丸(四条烏丸)は銀行と店舗が混然としたビジネス街でにぎわっている。更に一駅進んだ四条大宮は、ぐっと「寂れ(さびれ)感」が強まる。西院はそこから更に一駅西寄りで中心部から離れる。四条大宮駅西院駅も大阪梅田(更に神戸三宮)に向かう阪急線と嵐山に向かうローカル線嵐電が交差する一応ターミナル駅だ。

 

京都には観光を生業とする人だけでなく、そこで生活し、子育てをし、そして税金を納める人々が多数住んでいるのだから、この方々の生活も守らなければならない。中心部の不動産価格が、宿泊施設の用地を求める東京や大阪の京都外の資本や外資が殺到したため高騰、普通の給与生活者には住居を確保することが難しくなった。そこで、京都市右京区という住所とはいえ、比較的郊外の高さ規制を緩和して、求めやすいマンションを大量供給することにしたのだろう。

 

もっとも私が購入した再生町家は町の中心なのに相対的に安い。表通りの普通に売買される京町家は壊されて更地になる一方、路地奥で再建築不可だから取引する人が少なく、売れないから町家として残ったのだ。取り壊して再建築はできないが、改修はできる。京都に住む人も、こういう割安の路地奥の一軒家、長屋を購入する手もあると思うのだが、長老やその妻が支配する町内会の付き合いがイヤなのかも知れない。わからないでもない。

 

京都に住むある女性大学教官は、自分は銭湯が好きだが、街中の銭湯では常連の高齢者が、どの場所(ロッカー、洗い場)を使うか決まっており、よそ者が知らずに行くと不愉快な思いをするから行きたくない、とこぼしていた。東京にも住民の新陳代謝が少なく、長く住む者が権勢をふるう都会の中の田舎がある。

 

話がそれてしまったが、「路地奥」と「再建築不可」が町の魅力を増すキーワードでもある。

東京の中心部にある新宿区神楽坂には舗装もされていない狭い路地の両側に古い木造家屋が連なり、オシャレなカフェや雑貨店に衣替えしている。

神楽坂の路地。右手青いペンキの扉はカフェ。

 

同様に、大阪駅から歩いて15分ほどの中崎町も同様の現象がみられる。

大阪駅近くの中崎町にある古い路地。

 

経済合理性を追求する資本は再建築不可の物件になど興味がない。公道に面した大きな敷地が欲しいのだ。当然そこにある町家は豪壮なかつての富裕層の邸宅であることが多い。京都では、戦後多くの公道、特に大通りに面した大きな町家は取り壊され、ビルになった。意識的に残された祇園や白河筋、あるいは岡崎の、映画やTVドラマのロケ地に使われる美しい京都とは異なり、表通りは他の都市の街並みと同じく味気ない。

 

大通りではない、幅4メートル程度の道路の両側の町家も開発の波にのまれて壊されてきた。京都に生まれた人が、こんな寒くて暑いぼろ家はイヤ、と放置し、京都外の資本が解体を前提に購入して、趣(おもむき)も何もない、部屋数だけが多い高層階のホテルにしてしまう。資本の論理を追求すれば町家は激減し、街の景観は他の日本の地方都市と変わらなくなる。

 

こんな京都にしたのは日本人、中でもまず地元の京都人だ。建築許可を出したのは京都市。行政と二人三脚で京都の魅力を向上させる役割を担っているはずの京都市議会議員を選出したのも京都市民。

京都外の日本人観光客も、安価で新しいコンパクトなホテルの部屋を選んだ段階でいわば共犯。京都に観光客があふれ、宿泊施設が足りないと言われていたコロナ前。建築申請し、コロナの真っ最中に旅館業の営業許可を得た施設も多い。雨後の筍のようにホテルが乱立し、レッドオーシャン状態。客単価は下がる。客層も下がる。

 

そんな中、中国資本が放置された町家、あるいは町家とも言えないボロ家を買い取り、「なんちゃって町家」に変貌させて自国の観光客を中心に集客している。表にかかっている暖簾も内装もなにやら中華風だ。

 

それでも中国資本が参入しなければ、小さな二階建ての古い家は買い手がつかず放置されるか、床面積だけを大きくした三階建ての建売住宅になるか、小規模ビルになるかしかない。多くの京都市民には町家を残そうという意思も能力(資本力)もないのだ。いやあったとしても、町内の旧態依然とした人間関係を避けたいという思いもあろう。

 

フランスのシャトーを日本人が購入した時代もあった。日本がバブル景気と円高に沸いた今は昔。

パリの中心部にあるホテル・リッツは、ダイアナ(元)妃が36歳の短い人生の最後の日に立ち寄った施設だ。ともに命を落としたエジプト人の恋人の父親がオーナー。エジプトは産油国ではないが、英国やフランスにはアラブのオイル・マネーで取得された歴史的建造物が沢山ある。

米国NYの高級ホテル、ウオルドーフ・アストリアは数年前、中国企業に売却された。

 

かつての栄華を彷彿させる建物を自国資本だけで立て直せない場合、他国に頼るのはよくある話だ。日本が好きだけど、日本の在り方に対する批判的言辞も辞さない欧米人は、中国人が豊かになる前に日本の古民家を救ってきた。

 

まず、英国人デービッド・アトキンス。何十年も前に退職したゴールドマン・サックスの元アナリストという肩書をいつまでも使い、菅元総理にトンチンカンな意見(日本には高額なホテルが足りない)を吹き込むのはいただけないが、京都で立派な町家を維持所有しておられる点は脱帽。ま、東京にリッツやウオルドーフ・アストリアを超える高級ホテルがあっても普通の日本人には無縁だし。

 

政治的な動きをせず、地道に日本の里山を古民家とともに守りたいと長年努力している外国人もいる。カール・ベンクスというドイツ人建築家が、新潟で古民家をいくつも再生している。 四国では、アレックス・カーという米国人が日本の古民家を高額宿泊施設にしている。客は米国人はじめ、インバウンドが多いらしい。

 

中国系不動産業者の言辞によると、京都でなんちゃって町家風の宿泊施設のオーナーになった中国人も大勢いるようだが、上記の3人の欧米人ほどマスコミでは取り上げられないのは、短期の投資目的が先行し、日本に住み着かず、必ずしも日本の町家を保存したいという理念があったわけではないからか?あるいは、日本のマスコミの西洋人崇拝のせいか?

 

もちろん日本人で古民家再生に取り組んでいる人も散見される。NIPPONIAという会社は、日本全国の里山、宿場町、城下町で多くの古い家屋を再生し、分散型宿泊施設にしているようだ。この会社のウエブサイトを見るだけでも楽しくなる。是非一度訪れたいと思う。

 

かくいう私も、マイクロもマイクロだが、古い家を再生させることに個人の力の及ぶ範囲で少しだけ貢献してきた一人だ。点に過ぎず、面として広がらないのが限界。

 

京都の人に任せていると、京都は京都でなくなる。

民泊が嫌だと反対運動をし、全国の自治体で最も民泊事業(ついでに旅館業も)を困難にする「いけず感満載」の条例を制定した。

条例制定前は、セルフチェックインで、身元確認もせずインバウンド客を泊める施設も多かったから、規制が強化されるのは無理もない。

 

が、いいかげんな宿泊施設営業をしていたのは外国人だけではない。日本人もだ。私が旅館業法上(民泊ではない)の営業許可を取得し、管理を委託していた会社は、少ない未熟な社員数でコントロールできないほどの簡易宿泊施設を管理業務を引き受け、生まれて初めて京都に来た外国人客が施設に辿り着けるよう詳細な地図や目印を伝える努力もせず、清掃もいい加減な日本人が経営していた。

 

京都市の条例が、管理会社が扱う宿泊施設の数に上限を課したのは当然といえよう。何度も問題を起こすので、条例が制定される前にこの会社との管理契約を終了した。

 

厳しい条例を制定することには熱心な京都の地元の人だが、神社仏閣や歴史や伝統の上にあぐらをかき、持てる資産を更に有効活用して富を増やそうという知恵もなければ努力もしてこなかったのは事実だ。

 

文化庁が京都に来たからと言って、京都が繁栄するわけではない。京都は何百年にわたり他力本願で生きて来た。これからも、資産はあっても税収は伸びず、道路はがたがた、地下鉄は大赤字。泉房穂明石市長のような改革のエネルギー溢れる人は、まず京都の有権者が選ぶことはない。京都をだめにしたのは京都人である。

 

新しい風は外から吹く。

http://日本で「古民家」を買って自分でリノベした外国人が見た現実、外国人が憧れる家は、日本人は買わない?(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

 

2023年7月9日記