不動産は面白いーー巣の確保から投資に至る過程で得た学び

アカウント名「家売る女」のど真ん中ブログ:不動産遍歴から得た学び

西院の路線価上昇率が近畿トップー京都をだめにしたのは京都人?

国税庁は、毎年7月1日に路線価を発表する。

路線価は、相続税の算出に使われる価格。今年の日経平均株価は連日バブル超えがニュースとなっているが、不動産価格は数年前から上昇が伝えられていた。長年に亘る金融緩和で、じゃぶじゃぶになったお金の向かう先がまず不動産だったのだろう。

 

京都西院の路線価の上昇率が近畿トップとのニュース。

ワクチンが開発され、ウイルスの詳細も判明しはじめたので、コロナ勃発当初のように致死率が非常に高い感染症ではなくなった結果、インバウンド客が戻り、京都では多すぎる観光客が地元民の生活に悪影響を及ぼすオーバーツーリズムの問題が伝えられている。市中心部は新しい宿泊施設がどんどん建てられ、土地の価格上昇はコロナ前から問題だった。

 

京都市が今年4月、建物の高さ規制を緩和する条例を施行。西院駅周辺でもマンションなどの高さの上限が20mだったのが31mまで緩和され、ファミリー向けマンションがさらに増えると予想されている」というのが西院の価格上昇の理由だそう。

 

京都市中心部は高さ制限が一応あるが、大通り沿いは統一感が全くない、10階程度のそこそこ高いビルが建っており、その背後にベターと平屋、2階建てだけでなく、3階建て、4階建ての建物が連なっている。姉妹都市パリには及ぶべくもない美しくない町並みだ。

 

敷地の限られた民家では3階建てのものも多い。最初の高さ規制緩和の産物だろう。古くなった平屋や2階建ての木造家屋を解体して、3階建てにすると床面積は広がるし、高くなると街中でも少しは採光が良くなる。暗いジメジメした狭い家にうんざりした京都市民にとってはありがたい緩和だったのだろうと想像する。

 

私が最初の再生京町家を購入した時、口座のある東京大手町の銀行のロビーで不動産業者への送金手続きを行った。業務出張の口実で上京してきた京都の不動産業者と同行の司法書士は、大手町の高層ビル群を見上げて、「都会やなあ」と感心していた。東京在住の私は2階建ての小さい京町家を購入しているのだが。

 

湿気の多い、窓がきちんと閉まらない古い木造住宅が嫌だった時期もある。が、石造りの建物中心で、地震もないフランスで生まれて初めての海外生活を経験して、家だけでなく家具も含め古いものを大切に保存、再生し、美しい街並みを維持する文化に触れると、自分が住んできた住まいがひどくみすぼらしく思えた。

 

京都の中心は四条河原町周辺。大阪、神戸へ延びる阪急電車の始発駅河原町から3つ目が西院だ。一つ目の烏丸(四条烏丸)は銀行と店舗が混然としたビジネス街でにぎわっている。更に一駅進んだ四条大宮は、ぐっと「寂れ(さびれ)感」が強まる。西院はそこから更に一駅西寄りで中心部から離れる。四条大宮駅西院駅も大阪梅田(更に神戸三宮)に向かう阪急線と嵐山に向かうローカル線嵐電が交差する一応ターミナル駅だ。

 

京都には観光を生業とする人だけでなく、そこで生活し、子育てをし、そして税金を納める人々が多数住んでいるのだから、この方々の生活も守らなければならない。中心部の不動産価格が、宿泊施設の用地を求める東京や大阪の京都外の資本や外資が殺到したため高騰、普通の給与生活者には住居を確保することが難しくなった。そこで、京都市右京区という住所とはいえ、比較的郊外の高さ規制を緩和して、求めやすいマンションを大量供給することにしたのだろう。

 

もっとも私が購入した再生町家は町の中心なのに相対的に安い。表通りの普通に売買される京町家は壊されて更地になる一方、路地奥で再建築不可だから取引する人が少なく、売れないから町家として残ったのだ。取り壊して再建築はできないが、改修はできる。京都に住む人も、こういう割安の路地奥の一軒家、長屋を購入する手もあると思うのだが、長老やその妻が支配する町内会の付き合いがイヤなのかも知れない。わからないでもない。

 

京都に住むある女性大学教官は、自分は銭湯が好きだが、街中の銭湯では常連の高齢者が、どの場所(ロッカー、洗い場)を使うか決まっており、よそ者が知らずに行くと不愉快な思いをするから行きたくない、とこぼしていた。東京にも住民の新陳代謝が少なく、長く住む者が権勢をふるう都会の中の田舎がある。

 

話がそれてしまったが、「路地奥」と「再建築不可」が町の魅力を増すキーワードでもある。

東京の中心部にある新宿区神楽坂には舗装もされていない狭い路地の両側に古い木造家屋が連なり、オシャレなカフェや雑貨店に衣替えしている。

神楽坂の路地。右手青いペンキの扉はカフェ。

 

同様に、大阪駅から歩いて15分ほどの中崎町も同様の現象がみられる。

大阪駅近くの中崎町にある古い路地。

 

経済合理性を追求する資本は再建築不可の物件になど興味がない。公道に面した大きな敷地が欲しいのだ。当然そこにある町家は豪壮なかつての富裕層の邸宅であることが多い。京都では、戦後多くの公道、特に大通りに面した大きな町家は取り壊され、ビルになった。意識的に残された祇園や白河筋、あるいは岡崎の、映画やTVドラマのロケ地に使われる美しい京都とは異なり、表通りは他の都市の街並みと同じく味気ない。

 

大通りではない、幅4メートル程度の道路の両側の町家も開発の波にのまれて壊されてきた。京都に生まれた人が、こんな寒くて暑いぼろ家はイヤ、と放置し、京都外の資本が解体を前提に購入して、趣(おもむき)も何もない、部屋数だけが多い高層階のホテルにしてしまう。資本の論理を追求すれば町家は激減し、街の景観は他の日本の地方都市と変わらなくなる。

 

こんな京都にしたのは日本人、中でもまず地元の京都人だ。建築許可を出したのは京都市。行政と二人三脚で京都の魅力を向上させる役割を担っているはずの京都市議会議員を選出したのも京都市民。

京都外の日本人観光客も、安価で新しいコンパクトなホテルの部屋を選んだ段階でいわば共犯。京都に観光客があふれ、宿泊施設が足りないと言われていたコロナ前。建築申請し、コロナの真っ最中に旅館業の営業許可を得た施設も多い。雨後の筍のようにホテルが乱立し、レッドオーシャン状態。客単価は下がる。客層も下がる。

 

そんな中、中国資本が放置された町家、あるいは町家とも言えないボロ家を買い取り、「なんちゃって町家」に変貌させて自国の観光客を中心に集客している。表にかかっている暖簾も内装もなにやら中華風だ。

 

それでも中国資本が参入しなければ、小さな二階建ての古い家は買い手がつかず放置されるか、床面積だけを大きくした三階建ての建売住宅になるか、小規模ビルになるかしかない。多くの京都市民には町家を残そうという意思も能力(資本力)もないのだ。いやあったとしても、町内の旧態依然とした人間関係を避けたいという思いもあろう。

 

フランスのシャトーを日本人が購入した時代もあった。日本がバブル景気と円高に沸いた今は昔。

パリの中心部にあるホテル・リッツは、ダイアナ(元)妃が36歳の短い人生の最後の日に立ち寄った施設だ。ともに命を落としたエジプト人の恋人の父親がオーナー。エジプトは産油国ではないが、英国やフランスにはアラブのオイル・マネーで取得された歴史的建造物が沢山ある。

米国NYの高級ホテル、ウオルドーフ・アストリアは数年前、中国企業に売却された。

 

かつての栄華を彷彿させる建物を自国資本だけで立て直せない場合、他国に頼るのはよくある話だ。日本が好きだけど、日本の在り方に対する批判的言辞も辞さない欧米人は、中国人が豊かになる前に日本の古民家を救ってきた。

 

まず、英国人デービッド・アトキンス。何十年も前に退職したゴールドマン・サックスの元アナリストという肩書をいつまでも使い、菅元総理にトンチンカンな意見(日本には高額なホテルが足りない)を吹き込むのはいただけないが、京都で立派な町家を維持所有しておられる点は脱帽。ま、東京にリッツやウオルドーフ・アストリアを超える高級ホテルがあっても普通の日本人には無縁だし。

 

政治的な動きをせず、地道に日本の里山を古民家とともに守りたいと長年努力している外国人もいる。カール・ベンクスというドイツ人建築家が、新潟で古民家をいくつも再生している。 四国では、アレックス・カーという米国人が日本の古民家を高額宿泊施設にしている。客は米国人はじめ、インバウンドが多いらしい。

 

中国系不動産業者の言辞によると、京都でなんちゃって町家風の宿泊施設のオーナーになった中国人も大勢いるようだが、上記の3人の欧米人ほどマスコミでは取り上げられないのは、短期の投資目的が先行し、日本に住み着かず、必ずしも日本の町家を保存したいという理念があったわけではないからか?あるいは、日本のマスコミの西洋人崇拝のせいか?

 

もちろん日本人で古民家再生に取り組んでいる人も散見される。NIPPONIAという会社は、日本全国の里山、宿場町、城下町で多くの古い家屋を再生し、分散型宿泊施設にしているようだ。この会社のウエブサイトを見るだけでも楽しくなる。是非一度訪れたいと思う。

 

かくいう私も、マイクロもマイクロだが、古い家を再生させることに個人の力の及ぶ範囲で少しだけ貢献してきた一人だ。点に過ぎず、面として広がらないのが限界。

 

京都の人に任せていると、京都は京都でなくなる。

民泊が嫌だと反対運動をし、全国の自治体で最も民泊事業(ついでに旅館業も)を困難にする「いけず感満載」の条例を制定した。

条例制定前は、セルフチェックインで、身元確認もせずインバウンド客を泊める施設も多かったから、規制が強化されるのは無理もない。

 

が、いいかげんな宿泊施設営業をしていたのは外国人だけではない。日本人もだ。私が旅館業法上(民泊ではない)の営業許可を取得し、管理を委託していた会社は、少ない未熟な社員数でコントロールできないほどの簡易宿泊施設を管理業務を引き受け、生まれて初めて京都に来た外国人客が施設に辿り着けるよう詳細な地図や目印を伝える努力もせず、清掃もいい加減な日本人が経営していた。

 

京都市の条例が、管理会社が扱う宿泊施設の数に上限を課したのは当然といえよう。何度も問題を起こすので、条例が制定される前にこの会社との管理契約を終了した。

 

厳しい条例を制定することには熱心な京都の地元の人だが、神社仏閣や歴史や伝統の上にあぐらをかき、持てる資産を更に有効活用して富を増やそうという知恵もなければ努力もしてこなかったのは事実だ。

 

文化庁が京都に来たからと言って、京都が繁栄するわけではない。京都は何百年にわたり他力本願で生きて来た。これからも、資産はあっても税収は伸びず、道路はがたがた、地下鉄は大赤字。泉房穂明石市長のような改革のエネルギー溢れる人は、まず京都の有権者が選ぶことはない。京都をだめにしたのは京都人である。

 

新しい風は外から吹く。

http://日本で「古民家」を買って自分でリノベした外国人が見た現実、外国人が憧れる家は、日本人は買わない?(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

 

2023年7月9日記

 

不動産譲渡税ー確定申告―ふるさと納税―明石市長

2月16日、令和4年の確定申告書を提出した。

昨年、長野県白馬村のスキーロッジを売却し、譲渡益があり、たっぷり納税することになる。金融機関への振替も申告と同時に税務署に依頼しておいたので、そのうち預金から引き落とされる。

嬉しくはない。

働かない国会議員や、家業は政治家と信じて疑わない岸田家や岸家の坊ちゃんがいずれ政治家になるかと思うと不快だ。森喜朗麻生太郎鈴木宗男杉田水脈、亡くなった安倍さん等々も顔や名前を思い出すだけでげんなりする。

 

引き落とされるのは所得税と復興特別所得税国税分。住民税分は、申告書に従い納税通知書が送られてくるはずだ。これも嬉しくはないが、コロナワクチン接種では自治体にお世話になった。ゴミ収集、図書館等の行政サービスは日常的に享受している。ま、私の住む区の区長も世襲政治家有権者の多くは、お殿様、お坊ちゃま、お嬢様が好きなのだ。

 

住民税分は「ふるさと納税」の返礼品で若干重税感が宥められる。

ふるさと納税には自治体と寄付者の間に立つ業者(「さとふる」とかがいて、収めた寄付からかなりの手数料を得ているのだろう。寄付金満額がこれはという自治体に入るわけではない。自治体職員がコメやキャベツを農家から集め、梱包して宅配業者に手渡すより、外注の方が効率は良い。この制度にも影の部分があるが、多額の住民税を自分の自治体だけに納めるよりも応援したい自治体に振り向けることができるようになったのは、良い点だろう。

 

住民税額が大体わかっていたので、昨年秋からせっせとふるさと納税した。最初に選んだのは兵庫県明石市。ウン万円の寄付でタコや明石焼きが冷凍で送られてきたその日、明石の泉市長は市会議員に対する「選挙で落としたる」発言で、今期限りで政治家引退表明。数年前にも「火いつけてこい」暴言で、辞任、出直し選挙で再選された人だ。

 

政治家は結果責任。泉市長、あっぱれ。

自分が明石市役所職員で、ドーピングしてるかと思うくらい元気な市長の元で働くとしたら大変だろうな、とは思う。が、明石市の人口増加は明白だし、最近の岸田政権の「異次元」(?)子育て支援も、しょぼいながらも明石のベストプラクティス(親の所得制限なしで支援とか)を一部パクッている。

 

昨年6月、東京から関西に行く用事があった際、一目見てみようと明石にも足を延ばした。JRの駅から小さなお城の天守閣が見える。その反対側に立派な駅ビルがあり、上の階は明石市の駅前施設が入っている。住民サービス窓口に加え、親子で立ち寄れる図書館や遊戯施設があった。梅雨時の雨の日の放課後だから、親子でにぎわっていた。その施設の階のトイレを借りた。感動したのは、扉の鍵が二つ付いていたこと。ひとつは普通の高さの場所でベビーチェアの近くにある。これでは子どもが何気なく開けてしまう可能性があり、親はおちおち用を足せない。標準的な身長の女性の目の高さ当り、小さな子どもが手を伸ばしても届かないところに、二つ目の鍵がある。細かい配慮だ。

 

こうしたことまで、泉市長が目配りしているとは思わない。が、市長が子育てしやすさをスローガンに掲げると、現場からこうした細かい配慮や様々なアイディアが自ずと

出てくるのではないのだろうか?

 

限られた予算の中での配分。選択と集中だから、減らされた分野の族議員、利益誘導議員の恨みを買っていることは間違いない。市長は弁護士経験を通じて、離婚しても養育費を払わない男親がゴロゴロいることを知っている。明石市が立て替え払いしている。

 

www.city.akashi.lg.jp

 

こどもの養育費立替支援事業/明石市 (akashi.lg.jp)

 

他にも子育て経験のある人によるオムツの宅配。ホント、あの関西弁で巻くしたてるオッちゃんとは思えない、細やかな配慮だ。

 

泉市長は政治家引退とは言っても、このまますんなり表舞台から消えるわけではない。今年は統一地方選挙がある。世襲政治家統一教会票で選挙に勝たせてもらった議員が跋扈する中、暴言で失敗してもこのオッチャンを応援したくなるのは私だけだろうか?

 

(以上)

不動産ガチャ

2023年東京のお正月は晴天続きだった。町は静かで、午前10時過ぎ、陽ざしが射した道路の暖かい部分を選んでゆっくり犬の散歩をする。犬は日当たりなんてお構いなしに臭いにつられて右左。

 

昨年まで、年末年始は長野県白馬村で過ごすことが多かった。気温は東京よりずっと低いが、雪の量が違う。前夜に雪が降ると、朝、家から出るのにまず雪かき。同じ日本でも、自然環境が厳しい土地で生まれ育つこともあるのだ。出生地ガチャ。アフガニスタンに生まれた女性が教育機会を奪われるのも出生国ガチャ。世の中、運不運がある。

 

晴天の東京での散歩。いつもと違う道を選んで、豪壮な邸宅がどんどん新築されていることに気づいた。私が築30年ほどの中古住宅をリフォームしようと施工業者を探していた頃、近所にちょっとおしゃれな平屋和風住宅があり、手がけた工務店に連絡をしたことがある。その家はすでに3階建ての要塞のような家に建て替わっていた。敷地一杯に建て、植栽は表に1-2本程度、土の部分を少なくするのは雑草管理には楽そうだ。見上げれば、屋上庭園があるようで、木々の先が少し見える。平屋住宅の持ち主が土地の値上がりや家族構成の変化等で売ったのだろうか?表札の名前は変わっていた。

 

この建て替わった家をはじめテレビドラマに出てくる社長宅のような家もあちこちにある。お金持ちがいるのだ。

 

有権者が入れ替わった土地家屋とは別に、昔からの土地持ち一族らしい、同じ苗字の家が何軒も続いている。同じタイプの戸建て賃貸住宅数軒にしたり、低層マンションに建て替え、その一角に一部屋を元の土地の所有者が自分用に確保したりしている。

 

広い敷地に苗を育てて売っていた近所の老夫婦は2-3年前に苗木屋を辞めた。昨年から低層マンション建設が始まった。駅から徒歩5-6分の好立地だから、マンションにしませんか?と業者が話を持ってきたのだろう。老夫婦は近くに住むところを確保してもらって、毎日のように夫婦で駅前のスーパーに通っている。ほとんどの面倒なことを業者にまかせ、完成したマンションの一番気に入った住戸に移るのだろう。

 

解体が終わった更地の広いこと!戦前、東京市荏原郡碑衾(ひぶすま)村、九品仏村、碑文谷村等々と呼ばれた農地だったのだろう。今もところどころ生産農家が残っている。土地持ちっていいなあ。生産農家なら固定資産税、相続税等税制上も優遇されてきたのだろう。これも親ガチャ?

事業で成功し、新たに土地を買って要塞のような家を建てる新規の富裕層と、昔からの土地持ちが混在している地域だ。

 

パークなんたら、パークハウスなんたら等々業者がプラニングしたマンションがほとんどだが、ひとつ目を引く個性的な賃貸住宅があった。1960-70年代っぽい白いモルタル塗りで、バルコニーは黒いスチールだったが、植栽の手入れが素晴らしく、比較的都心に近いのにターシャ・テューダーのようなカントリー風の庭に古木でできた素朴な物置小屋があり、古くてもおしゃれで、この「○○ハイツ」に住みたいという人もいたという。数年前、建て替えが始まる前、たまたま表で草花の手入れをされていた上品な婦人と話す機会があった。すべての入居者の退去も終わり、まもなく立て替えということだった。庭はプロにプラニングしてもらったそうだが、その後の何十年にもわたるオーナーの日常的な手入れが、あのアパートを魅力的なものにしていたのだ。

 

建て替え後は、オーナーの住戸が一階、二階には賃貸住戸が2戸しかないこじんまりとした建物になった。以前は3階建て程度ですべての敷地をすべてこのハイツに利用していたが、奥の土地は売却されたようで、別の豪邸が建っている。敷地が広いので旗竿地でも竿の部分が十分すぎるほど幅広く、奥まっていることがむしろ価値を高める堂々たる邸宅だ。

 

オーナー住戸プラス賃貸住戸の二階建ては、狭くなった分余計に細部への配慮が行き届き、レンガが積み上げられた、カントリー調が更に洗練されていた。近くの建て替わった賃貸マンションのいくつかは業者の「入居者募集中」の看板がでているが、このレンガ造りの賃貸住宅は戸数が少ないという点もあるが満室のようだ。

 

正月明け早々建設工事を急ぐ近所の元苗木屋のマンションは、どのようなマンションになるのだろうか?

先祖から受け継いだ土地でも、自身の創意工夫で魅力的な賃貸マンションにする人と、業者丸投げの人がいる。私は不動産に通常以上の付加価値を付けることに知恵を絞る人が好きだ。建物、庭を魅力的にすれば、町の景観も魅力的になる。

 

                               (以上)

 

 

不動産インサイダーではない者が手にできる3つの武器

不動産投資に高学歴は必要か?

ローン承認という観点から、「安定した仕事に就き、一定以上の収入が確実に毎月入ってくる人、借入金はすぐに返済可能程度の額であること」が望ましい。

 

眞子さんの婚約内定者、小室圭さんの現在の属性は、ローン審査担当者にすればあらゆる点でアウト。米国法弁護士として働きはじめてからのパーフォーマンス次第だ。

 

この観点からは正規公務員は有利。が、別に高学歴のキャリア公務員である必要はない。転勤、配置転換の多い、しかも40過ぎれば肩たたきに合う国家公務員キャリアより、一生経理担当で定年まで所属の役所に居続けることができ、しかも異動の少ない地方公務員は、本人がギャンブルや愛人に公金をつぎ込まない限り、銀行にとっては垂涎のローン申請者だ。

 

こういう人が、地元で自分の住む家に加え、アパート一棟経営なんかに乗り出せば、それなりに成果をあげられるのだろう。人口が激減していく日本でも、継続的に賃貸需要がある地域は必ずある。

 

業者が持ち込む物件は記者クラブで発表される「ニュース」のようなもの

誰にでも公開されている物件ということでは、フェアな話である。

が、大きく儲ける人はやはり非公開情報、インサイダー情報に通じた人だ。

 

戦前の話だが、島根県足立美術館を創設した足立全康は農家の生まれで尋常小学校卒、第八車で行商し、大阪の不動産開発で財を築いた。機を見る才が抜きん出ていたのであろう。

 

足立全康の絵画や料理、庭園についての美意識は本物だが、財を築くにあたり、大阪駅周辺の開発計画を誰よりも早く察知し、誰よりも早く「買い!」と決断したと想像する。

 

最近亡くなった立花隆さんの出世作田中角栄研究ーその金脈と人脈」で描かれているように、田中角栄信濃川河川敷開発計画を何等かの形で事前に察知したのであろう。「人たらし」と呼ばれる魅力とずば抜けた才覚とお金の力で、インサイダー情報を手に入れ、4億円で購入した土地が建設省(当時)の公共工事で数百億円の資産形成に成功した。

錬金術は、貴重な内部情報に裏打ちされた土地ころがし。

 

トランプ前大統領も親から相続した不動産業を更に拡大するにあたっては、ビジネスセンスとともに「政商」としての才覚も発揮したのだろう。

 大統領時代、娘や娘婿を何の躊躇なく公職に任命したほどだから、値上がりしそうな不動産を取り巻く情報は、ネポティズム縁故主義)を当然のごとく利用して得たに違いない。

アメリカ人が縁故主義は駄目、フェアであれ、と繰り返すのは、人間はアンフェアな行動に陥りがちであることを認識している証にすぎない。

 

日本のアンフェア取引例

国家プロジェクトは政治家と業者、役人がいち早く情報を得る。堅実な役人はインサイダー取引を断罪されることを恐れ、所掌事務に関連する株や不動産には普通は手は出さない。業者もコンプライアンスの観点から自分が手掛けるプロジェクトを私的に利用しない。

政治家はその人次第だ。

千代田区前区長のように、地元選挙区で開発業者から「地権者枠」だか「事業協力者枠」だかで値上がり確実の高級マンションの一室を手に入れた。国家プロジェクトでもない、セコい例である。

 

 普通の不動産投資家予備軍はインサイダー情報ではなく正攻法でいく

情報は求めていない者のところには勝手に歩いてきてはくれない。

土地ころがし成金も、鋭い嗅覚でなかなか手に入らない情報をあの手この手で嗅ぎまわったのだと思う。

「求めよ、さらば与えられん」

普通の人は、インサイダー情報に期待するより、公開情報+普段の地道な情報収集と若干のカンで、ある程度の成果を上げるよう努力するしかない。

 

 高輪ゲートウエイ駅新設、北陸新幹線延伸は公開情報になってから手を出した人でも、周辺土地や物件はある程度の値上がりは得られたはずだ。99%の人は、こういうプロジェクトを知ってはいても特に関心はなく、関心があっても実際に物件を購入するにまでは至らないのだから。

 

インバウンドスキー客を当て込んで、長野駅止まりの新幹線が金沢まで延伸することが決まっていることを前提に、野沢温泉に外国人向けのホテルを建設した外国人投資家がいる。北海道ニセコの土地の値上がりは、日本の国家プロジェクトではなく、外国人が牽引したものだ。

「需要は確実にある」というのは同胞の動きを知る彼らならではの見込みだった。

 日本人のスキー人口の減少を嘆いていただけの人には、入手できない情報である。

 

セミナーで人を集めて、参加者に紹介される未公開物件は眉唾

よく紹介される例だが、不動産業者が「これはお得物件ですよ」と持ち込んでくる時、「そんなにお得なら、なんで自分自身で購入しないの?」と聞き返そう。

不動産でも、なんたら商法でも、すべての投資物件は似たようなものだ。ぼろ儲けできるなら、こっそり一人でやるはず、人に勧める時点で胡散臭い。

 

業者のカモにされず、なおかつ若干の成果をつみ重ねていく上での鉄則

利益=売上ー経費

 

不動産の経費は、購入価格+仲介手数料、司法書士手数料、税金等である。

この経費を少しでも抑えることができれば、利益は確実に増えることになる。

 

インサイダーでもないド素人がプロの世界に入っていくのだから、わずかな成功例の陰に無数の失敗があるはずだ。不動産王(女王)の成功体験を鵜呑みにしてはいけない。 

 

振り返って確実に言えることは、以下の3点。

1.時間で勝負=人より早く動く

2018―19年あたりに京都でホテルを開業しようと動き始めた人は遅きに失したと思う。自身の京都の町家宿泊施設投資は2011年5月。3月の福島第二原発事故で日本から外国人駐在員がいなくなって間もない頃だった。順調に稼働していたが、近隣に似たような施設が乱立し始め、単価を下げないと集客が難しくなり始めたのが2016年頃。

東京資本や外資が、すでに高騰し始めた京都のまとまった土地を獲得し、様々な許認可を経て、海外の富裕層を念頭においた客単価の高い高級ホテルの開業にこぎつけた時期とコロナがばっちりあったのは痛恨だろう。

 

2.変形で勝負

京都は特に路地奥の再建築不可の物件に魅力がある。

東京でも、かつての地主の広い土地を何分割もすれば、公道接道の長さがギリギリ再建築可をクリアする旗地が生まれる。

再建築ができなくてもリフォームは可能なので、設備や外観を一新できるし、土地の値段が安い分固定資産税額も低い。

こういう物件を賃貸なり宿なりにして運営したとしても、路地奥だから、旗地だから、といって賃料や宿泊料金が大幅に下がるわけではない。土地の値段が安い分、利便性のある土地なら、運用収益は整形地に優る。

公道に面しているより静か、というメリットまである。

 

3.海外事情で勝負

季節が日本と反対のオーストラリアは、コロナまで30年以上ずっと経済成長を続けてきた。

日本がバブルの最後の宴に浸っていた1990年前後は、この国は地下資源を掘って輸出するしかない、途上国型経済とバカにされていた。

が、バブル崩壊後停滞する日本を尻目に、成長するアジア諸国の資源需要を受け、またIT化も進め、一人当たりの国民所得は、日本の1.3倍になった。金持ちなのである。

熱帯、亜熱帯に位置する東南アジア諸国とは違い、欧米のライフスタイルを送るオージーたちはスノースポーツに馴染んでいる。質の良い日本の雪を発見したことに驚きはない。

そして、アジア諸国での中産階級の台頭である。生活に余裕が出ると、お金のかかるスポーツにも関心が行く。シンガポール、香港の教育熱心な親たちは、雪の降らない自国では難しいスキーやスノーボードを子供たちに体験させたいと願う。

緯度が低く、比較的暖かいのに豪雪地帯が多い日本の、かつて整備されたスキー場に彼らが殺到するのは予測できたはずだ。コロナが収束すれば、彼らが戻ってくるのは確実だ。

東京のタワマン価格高騰の背後には、中国人の資産保全行動もある。共産党ににらまれたら、アリババ創始者も表舞台から消されるのだ。オーストラリアのシドニーやカナダのバンクーバーの不動産価格に比し、東京のそれは割安だと中国人富裕層は判断した。

固定資産税や管理費、修繕積立金について十分な理解がないまま購入されると困るのは他の区分所有者だが、中国の金持ちが都心3区のマンションの価格高騰に貢献したのは紛れもない事実。

 

そして、(1.の延長である)売る時も時間で勝負

私はタワマンが好きではないので、港区のマンションに食指が動くことはなかったが、賢い投資家は、都心のマンションで外国人所有者の管理費不払い問題が顕在化する前に、自分の区分所有分は売って、それなりのキャピタルゲインを得ているのだろう。参入者が多くなってレッドオーシャンになる前に、あるいは、面倒な問題が顕在化する前にさっさと退出するのも「時間で勝負」である。

もちろん、高額の修繕が必要となった時の、タワマンの合意形成の難しさも十分に念頭に入れての迅速なアクションだ。

 

この3つの武器は、インサイダーでなくとも頑張れば手に入れることはできるはずだ。

 

                           (今回はここまで)

 

 

 

 

 

 

 

日本人不動産鑑定士ではわからない。

 

 

 

 

 

考えれば、株でも不動産でも、高学歴でなくとも成功する人はしている。戦前の話だが足立美術館を創設した足立全康は農家の生まれで尋常小学校卒、第八車で行商し、大阪の不動産開発で財を築いた。機を見る才が抜きん出ていたのであろう。田中角栄も土地ころがしだ。

不動産投資に向いている人とは?

  1. 自ら住む気はなく、キャッシュ・フローとキャピタル・ゲインに注目するタイプ
  2. 自ら住んだ時の利便性、居住性、街の景観等美的な部分に拘るタイプ

 

間違いなく1のタイプが、投資家的考え方である。更に仕入れは安く、となるとプロだ。

が、動産としていつでも売り買いできる株式でも、この企業を育てたい、社会貢献に力を入れている企業(例えば今話題のSDGs)を応援したい、と考えて投資する人がいる。

2のタイプは、企業応援型株式投資家に近い。

 

自分は2のタイプで、結果としてトータルで少し+になった程度である。

バブル崩壊直後のマンション購入のロスが大きかった。

 

それでも不動産購入やりフォームの過程は楽しかった。

こういう過程を楽しめる人も、リターンは3年以内に絶対二桁以上という雇用主からの圧力があるのでなければ、広い意味で不動産投資に向いているのかも知れない、と自分で思う。株式にも育てたい会社に長期投資、という考え方がある。

 

堅実な生活態度で、融資だけでは足りない頭金を貯めることに役立った。住宅ローンは給料天引き貯金のようなもの。

ウン億円稼いで、銀座で豪遊、トロフィーワイフとタワマンで、という人には私の経験は全く役に立たない。

 

一方、思い切った借金や即金購入の決断は速かったと思う

若いころは、借金=銀行融資に頼らざるを得なかった。安い物件なら現金での購入も可能になったのは、50歳を過ぎてから。

自分名義で銀行融資を申し込めたことも、決断から実際の購入までが速かったことにつながる。配偶者や親族にも融資申し込みをして共同名義にする必要がある場合は、説得に時間がかかる。

 

優柔不断な人がいる。

自身の物件の売却を試みた時、内覧後あれやこれやずいぶん悩んで引っ張った挙句、仲介業者から督促されてやっと断念の意を示す人が散見された。

こういう人はどんな投資にも向かない。

不動産は何と言っても高額だということはあるが、多分それほどの値段でもない商品を前にしても、どうしよう、どうしようと悩み続ける人でもあると思う。

 

投資に家族を巻き込んではいけない。自分だけで決断するのだ。

家族それぞれの意向を聞いての全員一致が必要なケースもある。

北川景子主演の「家売る女」でも、なかなか決められない夫婦が登場したし、坂上忍やみやぞん等芸能人の物件購入番組でも、演出かもしれないが、とりあえず「キープ」という選択をするケースも多い。

家族の住処を購入する、建てるとなると、カネも出さず口だけ出す有象無象が出てくる。家庭円満のためには、コンセンサスが重要だ。

が、投資となると家族に類が及ばないよう、自分だけで完結させるのだ。

額の大きいへそくりみたいなものかも知れない。

 

結論が出たら関係者にすぐ伝えるのが礼儀

購入決断が速いということは、この物件はビミューと感じると、購入しないという意思表明も速い、ということ。自分の好みがはっきりしていることでもある。

これは仲介業者や売り手に対して親切な対応だと思う。

 

物件を案内した仲介業者にも、自身の都合を優先して売主になかなか連絡しない人がいる。まあ、契約前には書類作成等忙殺されるのだろうが、「ノー」という答えがでているならその一言だけでも迅速に伝えるのが、物件案内を引き受けた者の礼儀だと思う。

 

究極の速攻決断

コロナ前は、値上がりするはずと思うと、物件を見ずに「買い!」と海外から回答する中国の資産家もいたと言われる。速っ!不動産投資家はそういうタイプなのかも知れない。

自分は愛着がある物件にこだわる。だから、見もしないで買うなんて考えられない。

 

株式投資の定石「分散」、「長期」投資は不動産にも当てはまるか?

この定石は移民が流入し続け、人口が増えて、イノベーションの機運が高く経済成長が続く米国や、新興国の株も組み入れているという意味での「分散」だ。国内株でも情けない東芝みずほ銀行から元気いっぱいのソニー任天堂ユニクロまで含めば「分散」だろう。

 

人口が減っていく日本で、不動産の分散も長期も難しい。

地域的な分散投資が可能なエリア

毎年、島根県ひとつ(人口約65万人)がなくなっていくのである。

テレ朝「ポツンと一軒家」で紹介される人々は、それぞれ魅力的で、先祖から引き継いだ物件を大切にしなければと頑張っている人が多い。冒頭にあげた2のタイプに属するのだろう。が、流通があまりに難しく、投資対象というより趣味の物件という方が正確だろう。

投資対象となるには、流動性のある物件、都会や観光地のような人が集まる場所である必要がある。首都圏である必要はないが、京阪神、福岡、名古屋圏あたり。

北海道や沖縄は観光地としての魅力はもちろんある。コロナが収束すれば、インバウンド客が戻ってくるだろう。

 

レジ以外の不動産がある。

倉庫、宿泊施設、最近ではコインランドリーも不動産投資対象だ。需要のあるところでレジに拘らないなら不動産の「分散」投資だろう。

が、私はレジが好きだ。宿泊施設もレジの流れ。

積水ハウスの歌にほろっとしてしまうのは、住まいへの思い入れの強さだろう。

小林亞聖さんが亡くなられて、この愛おしい曲も小林さん作曲と知った。人々の家への様々な思いを音で表現している。凄い才能!

 

こういうタイプだから、コインランドリーを所有して収益を上げたいとは思わない。カフェや託児所を併設したコインランドリーを運営するのなら、多少魅力は増すが、自分にとってのワクワク感がレジに比べればおおいに劣る。

 

人に勧められたからではなく自分で選んだ投資なら失敗しても自分を責めればいいだけ

立地が良さそうだと、業者の方がアプローチしてくるのだろう。この土地をコインランドリーにすれば、年○○%のリターンがありますよ、と。

かぼちゃの馬車レオパレスだけでなく、大手不動産業者による節税対策としての賃貸住宅経営ご案内。税理士と一緒に現れる、先方からのアプローチには眉唾で臨むタイプには、心が動かない。

業者は最後まで責任をとってくれないのだから。

 

アパート一棟経営には全く関心がない

「なんとか大家さん」等、アパートを何棟も所有、賃貸して財を築いた人が不動産投資の成功者として取り上げられている。私は狭い敷地に建つ全10戸ほどの二階建て木造アパートは苦手である。

自分が住みたくないからだ。所有し、人に貸すからには、自分が住んで満足度が高いものにしたい。

まずい料理を出す料理人は淘汰されるのに、なぜか不動産業者は欠陥住宅でも生き延びている。

 

レオパレスの様々な問題が明らかになったのは数年前。今年は、外階段が崩落して死亡事故を起こした挙句、自己破産する施工業者が話題になっている。

施工業者が安く請け負うのは、発注者―開発者―投資家ができるだけ値段を抑えようとすることにある。

築年が浅いうちはまあ見られるが、どんどんみすぼらしくなっていく物件を「売り抜ける」のも投資家的才能だろう。ジャンクボンドでがっぽり儲ける人がいるように。

 

 安アパートは外部不経済

今の東京の家の近所には昔からの地主が多かったらしく、昭和の高度成長期にこういうアパートが結構あり、それが元地主の立派なお屋敷の隣に立っている。

洗濯機置き場は玄関扉のすぐ横、自転車置き場はなく、公道に賃借人の何台もの自転車が駐輪している。ゴミの捨て方はキレイとは言えず、指定の日の前から放置されていたり、収集業者の「分別されていないので回収できません」のラベルを貼った袋が転がっていたりすることも多い。

 

施工不良ではなく経年劣化で外階段が今にも崩落しそうでも、借りる人はいるのだ。都心に近く、駅まで徒歩10分以内でも賃料は安い、という判断かもしれない。

この地域では土地の値段が高くなってきたので、新しく賃貸経営をする人が建てる物件はそれなりの賃料を設定できるようなそこそこ立派な建物で、ゴミ置き場も自転車置き場もあるし、多分室内には洗濯機置き場もあるのだろう。

 

田園調布や関西の芦屋六麓荘では、小規模開発はもちろん、アパート建築も許されないらしい。パチンコ店やコンビニもないそうだ。

排他的かもしれないが、こうして街の景観が守られ、その価値を共有する人のみが住民となる地域が日本に少しくらいあってもいいと思う。

優れた建築物は芸術でもある。単独では芸術品でも隣が安普請の崩れそうなアパートでは困る。

 

以上、自身が決して高いリターンを望めないタイプであることを綴ってみた。

それでも若干の成功例があるので、これは次回に紹介することにする。

                          (今回はここまで)

アカウント名「家売る女」に合致するブログ公開の時が来た

スルガ銀行がまた怪しげな融資をしていた

 

と昨夜のテレ東WBS

スルガ銀行が絡む「かぼちゃの馬車」は、コロナ苦境ですっかり忘れられていたが、昨夜のニュースは温めていた不動産に関するブログテーマを順次公開していくきっかけになった。

 

家の売買は12回。リフォーム実施や賃貸契約は数知れず。

得た学びを失敗とともに記録に残しておこう。

どなたかの役に立てばと願う。

 

レジ系=レジデンス=住まい

まず、動物としての人間にとり、不動産は雨露をしのぐ巣である。

つばめやコウノトリの巣作りを見て思う。外敵から自らを守り、つがいになって遠方からエサを運び、卵を温め、子育てをする巣。

人間は鳥や哺乳類とは違う動物だが、帰巣本能は否定できない。

もちろん個人差はあるだろう。所有にこだわらない、狭くても平気、引っ越し魔、放浪癖等々。

 

動物にはない概念が住民票

住まいがないとホームレス。

行政上、住民票がないと住所不定で職探しもできない。

賃貸であれ所有であれ、大抵は成人すると親元を離れる。

日本的だが、晴れて世帯主になるのだ。

 

(レジ系含め)不動産は(広い意味で)金融商品でもある

単価が高い。地方には1円でも買い手のつかない空き家があるが、流通する物件はそれなりの値段がする。最低でも100万円単位。1000万、1億単位で物件を考える人もいる。

巣を手に入れたいだけの善良な個人のささやかな売買にも、高額な資金が必要となる。融資は金融機関の出番だ。

 

長期(35年?)ローンで高額を返済することになる不動産取引ができる人とは?

審査書類が改ざんされて所得を水増しされたお陰で融資が下りた、と喜んでいるようでは、ダメだ。このことを客観的に判断できるようにならないと。

自分の収入、所得でこんな高額のローンが承認されるものなのか、冷静に判断できない人がいるから、虎視眈々と狙っている詐欺師のカモになってしまう。

20代、いや30代になっても、こうしたことを学ぶことは難しい。

私も若い頃は訳がわからないまま、突き進んでいたにすぎない。

日本の金融リテラシー教育の問題でもあるし、多くの人の「良い巣を手に入れたい」、「副収入を得たい」という焦りのなせる業でもある。

 

資産形成教育

文部科学省が2022年度から高校の授業に「資産形成」の内容を導入し、金融庁が職員を学校に派遣して授業を行うそうだ。

「資産形成」の「資産」は、株式だけでなく不動産も含むなら、よりオールラウンドな知識が得られることになる。

今の高校のどの教科の先生にとっても教えるのが難しい課題だ。英語が話せない英語教師に実践英語を教えるように求めるのと同じなので、金融庁職員が乗り出す、ということらしい。

金融庁の職員に資産形成能力があるかどうか不明だが、金融リテラシー教育は大切だ。

政府としては、「年金」や「生活保護」だけでは人生100年時代の日本人すべての面倒をみることができないので、すこしでもリテラシーを高めて国民の多くが自ら資産形成し、政府の「公助」に頼らないで欲しい、というメッセージにも聞こえる。

が、大切な知識である。義務教育段階の中学生から学んでも遅すぎることはない。

 

これからのブログには以下のことを色々な角度から取り上げるつもり。

  • 不動産投資に向いている属性
  • 不動産取得のタイミング
  • 物件選び
  • リフォーム、リノベのコツ
  • それから、不動産業者は詐欺師か?

 

できるだけ実践的で役に立つものにしていくつもりです。

                               (今回はここまで)

 

 

コロナ時代は不愛想が最高のサービス

この時期のみ販売の紀伊国屋特製の鴨のリエットを買いに行った。以前は袋詰め要員だった人が余っている。空いている時間帯を選んでいったのだが、余っている人たちが、色々話しかけてくる。

精算の際、持参の買い物袋を取り出したらに「お入れしましょうか」と親切に言ってくれるが、自分の袋を他人に触られたくない。高級スーパーもサービスの在り方も変える必要がありそう。

 

そういえば、ゆうちょ銀行に「通帳記帳」をしに行った時、暇なのか、ATMにはりついている郵便局員がいて、間近で「このボタンを押して」とかあれこれ教えてくれる。結構難しそうな振り込みと違って、こっちは通帳記帳のみ。ゆうちょ銀行から、預金が不正に引き出されたドコモ口座事件以来、時々記帳しているだけなのだが。

 

更に思い出すのが、美食のフレンチレストラン。懐石料理でもその傾向があるが、新たに皿を持参する度に、「○○産xx」を「○○時間、熟成し」とか能書きを延々と述べる。給仕の人はもちろんマスクをはしている。でも、詳しい能書きは紙に書いてテーブルに置いておいてくれる方が、私は嬉しい。まあ、それでも外食しようとする自分が悪いのだが。

 

コロナ時代、不愛想でしゃべらない、近寄ってこない人が最高のサービス提供者です。